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電子雑誌の攻勢はじまる
一昨日、新聞と雑誌は置き換わりうる、という記述を記事中に書いたが、その次の日に「現在発売されているいくつかの雑誌がリーズナブルに電子媒体で提供される」というニュースが伝わってきた。

iPhoneやiPadで新聞・雑誌が楽しめる「ビューン」発表 - 6月1日提供開始
ソフトバンクグループのビューンは31日、iPad/iPhone/iPod touchおよびソフトバンク携帯電話向けに、新聞、雑誌、テレビニュースなどのコンテンツを配信するサービス「ビューン」を提供すると発表した。

このサービスでは30以上の雑誌を月額450円(iPadの場合)で見ることができる。
内容が、主要記事のものと大半記事のものがあるそうなので、紙媒体で読んでいた読者がたくさんシフトするとは考えにくいが、紙から電子媒体への移行の第一歩のように僕には見えた。

出版社はともかく、印刷会社や書店は戦々恐々だろう。こういう流れが進んでいけば、書店で売れる雑誌は付録付き雑誌ぐらいしかなくなってしまうのではないだろうか。
あとは、駅の売店なども、売上が落ちる気がする。タイムリーな雑誌や新聞は駅の売店で買われる部数が多いはずである。

もっとも、読者層を今まで以上に増やし、紙媒体で購入する人間を増やす可能性だってあるわけで、まだ結論を出すには早すぎるだろう。今後の動きに要注目である。

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| ホン | 10:00 AM | comments (1) | trackback (0) | murari |
岩波文庫「読書のすすめ 第14集」
タイトルのものは岩波書店から配られている冊子で、もちろん無料、整理コードなどはついていないけれど一応岩波文庫を銘打っている。

内容としては、筆者が何人かいるオムニバス形式で、それぞれの本に対する思い入れなどが書かれている。それぞれがなかなか書籍に対する愛というか、強い想いをもっている印象を受ける。

しかしこの無料の冊子でも装丁はきちんとしているものだ。
カバーこそ無いものの、紙も洋書のペーパーバックのような紙ではなく、普通の文庫本と同じで、しっかりとしているものである。

こういうものを見ると、電子書籍は果たして日本では普及しないのではないか、という思いを持つ。日本の書籍は綺麗すぎる。一種の芸術品と言っても良い。無料で配っているものさえ綺麗である。

表紙のデザインから装丁から内容まで、全ての要素があってはじめてその本として存在しうる。逆に洋書のペーパーバックなどは同じタイトルでも様々なバージョンが出ている。表紙もそれぞれ違ったりする。

紙の質も、本来廉価版である文庫や新書でもかなり綺麗だし、もちろん、通常の四六版の本などはさらに綺麗である。
逆にペーパーバックの紙は、とてもザラザラしている。

もちろんここに書いたのは主観的かつ殆どが予感だが、日本では書籍を文字の羅列としては見ておらず、全ての要素があって初めて書籍とみなしているきらいがある。
だから、日本では単純な情報としての価値が優先されるもの(新聞や雑誌など)以外の、例えば文芸書などはあまり電子書籍になる予感が感じられない。
あっても、本来の書籍ありきの、電子版というスタンスだろうか。

情報としての電子書籍が広まったら、メールやブログなどとの境界があいまいになるのではないか、そう感じていた。
しかし、こと日本においては、少なくともしばらくは境界はしっかりと存在しそうである。

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| ホン | 10:00 AM | comments (0) | trackback (0) | murari |
2011年新聞・テレビ消滅
文春新書「2011年新聞・テレビ消滅」佐々木俊尚 著を読了した。
来たる「メディア」における構造変化を予言するものとして興味深かった。
著者は活字畑の人間であるので、全体的にテレビよりも新聞の方がリアリティを持って書かれている。

本によれば、メディアは「コンテンツ」・「コンテナ」・「コンベヤ」の3つの層から成り立っている。それぞれ、「情報」・「媒体」・「流通方法」に相当する。

「マス」と呼ばれるメディアは最近までその3つを全て支配していて、世論形成などに強い影響力を持っていた。
例えば新聞ならば、「記事・紙面・販売店」、テレビならば、「番組・テレビ・電波」となる。
しかし、インターネット等、情報伝達手段が多様化するに従って不特定多数に均一の情報を提供するという「マス」メディアそのものの地位が下がり、よりそれぞれのニーズに合った狭い範囲での情報が選ばれるようになる。

その場合、例えば新聞記事から見た構造が「記事・ブログ・インターネット」などと変化する。インターネットサイトは広告収入などで採算を取るが、旧来のメディアと比べコストが圧倒的に安い。
情報の価値は安くなり、月4000円近い新聞を取らずとも無料で情報を得ることが出来るようになってしまう。先程の3層のうち「コンテナ」部分を支配すると一番の富を得ることが出来ると、逆に言えば、コンテナが紙面からブログに切り替わってしまえば、新聞社の売上を奪うことになると著者は言う。

これらによって旧来の「マス」メディアの構造ではまったく売上が見込めなくなる。
そのため、唯一残る「コンテンツ」だけで勝負をする(例えば、特定の情報を欲する相手に向けてより絞られたコンテンツの生産を始めるなど)か、他の層を奪い返すかの選択を迫られるが、後者は圧倒的に難しい。

難しいはずなのに、彼らは再びの3層支配に意欲を燃やしているという。なぜなら、著者が指摘するには、プライドがあるからということと、「コンテンツ」の1層だけでは3層支配で肥えていた現状の大きな企業規模を維持出来ないからだという。

構造の大変化が起き、またそのターニングポイントは地上波がデジタル化される2011年だという。ただ、この辺りはあまり解説がなく、説得力がちょっと弱く感じた。地上波デジタル放送はなんだかんだで普及率が伸びてきている。

本文中で指摘していた局地的な電波の受信感度の悪さも、改善はこれからある程度進むと考えられる。これだけアナウンスして難視聴地域が多いようでは、総務省の威信に関わるだろうからだ。

しかし構造の大変化が起きる可能性は、この何年かの様々な新しいメディアや情報伝達手段を見ていると確かに感じられる。
社会の構造も、新陳代謝が必要である。そうやって人間は豊かになってきたのだから、新しい技術などが出てきたら、それに対応していかなければならない。

旧来の構造にしがみつき、既得権や給料を守り、安寧と生きている現在の新聞社やテレビに未来は無い。

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| ホン | 02:34 AM | comments (0) | trackback (0) | murari |
さいぼう
『強い者は生き残れない』吉村 仁 著、新潮選書を先日読了した。
強者が生き残るのではなく、変化し続ける環境に適応するものが生き残っていくという進化論を説いた本である。

生物が取りうる、生き残りのための最善の策が「環境からの脱却」「共生」と位置づけた。

巣は、その生物に都合の良い環境になっている。
人間という動物も家を作ることで外から自分や家族を守り、また気候の変化を和らげる。
家というのは環境からの脱却という意味では非常に大きな役割を持つ。
環境を変えようとするのは本能であり、そう考えると「エコ」も人間に都合の良い気候を維持するための本能と言えるかもしれない。

ただ強くあるのではなく、協力して生きていくことが最善の策である。
たとえば、ある生物が捕食能力が強いとして、被捕食生物を取り尽くしてしまったとする。すると、その捕食能力のある生物も食糧不足で息絶えてしまう。まさにこういうことだ。


多細胞生物はまさにオーケストラのようなものだと思う。
数多の細胞が脳という指揮者にしたがって、生命活動を続けていく。
しかしやはり細胞そのものは、ちゃんと1つ1つ形を持っていて、それぞれの役割を果たしながらこちらも生命活動を行っている。

究極の共生が、ここでは起きている。
例えばコピーして増殖する際に異変が起きて癌細胞化などが起きると、その細胞は自殺してしまう。アポトーシスと呼ばれるその現象が起きないと、異常増殖を繰り返してしまい、生命全体を脅かすためだ。

ものすごい数の細胞が、一つの作品とも言える生物を形作っている。
ふと手のひらを見れば、そこに無数の細胞がある。
握る、開く。

ものすごい統率力である。
そうやってこの細胞たちの祖先は、環境が変わっても世代を超えて生き残ってきたのだ。

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| ホン | 02:30 AM | comments (0) | trackback (0) | murari |
新潮新書「医薬品クライシス」
読後感としては、一般向けに書かれていることもあって、読み応えの割に特に突っかかることなくサクサク読み進めることができた。

この本は、製薬会社の売上の大部分を占める医薬品の特許が2010年前後に切れる「2010年問題」についての本である。

そもそも医薬品とは何故効くのかから始まり、創薬(薬を作る)にはどれだけの多大なコストがかけられているのか、副作用は何故起きるのかなどが分かりやすく書かれ、身近な医薬品についていかに無知であるかを思い知らされる。
この感覚は、著者のホームページにある「有機化学美術館」というコンテンツを読んだ時に感じたものと似ていて、この専門家とそうでない人間とをうまく結ぶような伝え方は、あまり他に例を見ないものだと思う。

後半部分は、多大なコストをかけて作られた少ない製品が莫大な利益を生みだすという、特異な医薬品業界について述べた後、新薬が生まれなくなっている現状を書いている。起きる割合が極少ない副作用にとらわれて登録を抹消されてしまった医薬、高額な投資をしても生まれない新薬、そして迫る特許切れなど、この業界における少し理不尽とも言えるような現状が、この文章から伝わってくる。

リスクを恐れるあまり全体の利益を失ってしまうのは、「副作用が起こってしまったら・・・」と考えると、感情としては理解できる。しかし、リスクを恐れずに使うことで数字上では多くの人間を救え、そして医薬品会社は利益を得る。頭では理解できても、社会全体にこの考えはなかなか浸透しないだろう。

医薬品に関する様々なありがちな誤解なども解きつつ、全く知らない人間にも医薬品業界の現状とこれからの課題が分かりやすく伝わる良書だと感じた。

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| ホン | 02:15 AM | comments (0) | trackback (0) | murari |